起源
中世の院林郷内の一村で、「野尻村史料」には元和5年(西暦1619年)に柴村13軒、田屋村15軒、の戸数があり、承応3年(西暦1654年)柴村と田屋村を併せて柴田屋村と改作されました。寛政5年(西暦1793年)には、戸数が80軒を数えたと記されています。柴田屋の小字に、七つの島の呼称がありました。それは、十二町島・塚田島・田屋島・崖島・中島・七町島・西川原島の七島ですが、現在は使われなくなりました。
明治22年(西暦1889年)4月1日に、町村制の施行により、野尻村、上津村、柴田屋村、高儀村、長源寺村、川除新村、岩武新村、本江村の区域の一部、二日町村の区域の一部、下川崎村の区域の一部及び上川崎村の区域の一部の区域をもって、礪波郡野尻村が発足したことにより、礪波郡野尻村柴田屋となりました。
その後明治29年(西暦1896年)3月29日に礪波郡が分割されたことにより、東礪波郡野尻村柴田屋になり、また昭和16年(西暦1941年)4月1日には野尻村が福野町に編入した事から、東礪波郡福野町柴田屋となりました。
さらに平成16年(西暦2004年)11月1日に福野町を含む8自治体が合併し南砺市が発足。福野町は廃止され南砺市柴田屋となり今日に至ります。
柴田屋古地図(昭和初期)
柴田屋古地図_北側
柴田屋古地図_南側
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